2019年の自分に伝えたいこと

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2018年が終わるころ。

今年1年は本当におもしろい年だったと感じている。

ドローン空撮をはじめ、カフェ巡り、出会った人などなど。

 

夢なんて別に無くても大丈夫なんだって気づけた1年間でもあった。

目の前にある好きなことを好きなようにやっていく。

やっていけばいくほど芽が出やすくなるし、出る範囲も広がっていくということを

肌で感じることができた。

 

お金が発生するから「仕事」と呼ぶのだろうか。

お金が発生しないから「趣味」と呼ぶのだろうか。

ぼくは違うと考える。

自分が好きなことは全部「仕事」なのだ。

自発的にやることもお願いされてやることも全部「仕事」なのだ。

「仕事」と聞くと固いとか責任があるとか感じてしまうかもしれないけれど、

いつも通りの自分でいい。

他人からみた成功も失敗も、自分の中から見たら成功と呼ぶべきだし、

人生の全てが実験の一部に過ぎないのだから気にしなくいい。

目の前にコトに自分なりに全力で向き合っていく。

あとのことは考えずに取り組んでいく。

 

すると、「いつのまにかここまで来てたな」というタイミングに出会うことができる。

僕の2018年はまさに「いつのまにか」の年だった。

頑張ってもいないし、好き勝手にやっていたらドローン空撮でハワイに行くことができた。カフェ巡りをやりまくっていたら「Trevary」というカフェ紹介アプリに少しばかり関わることができるようになった。

 

人生はずっとぼーっとしているようではないけれど、「いつのまにか」の連続で

成り立っているのかもしれない。

頑張らなくていい、無理に働かなくていい。

やりたくないことはやらなくていい、だってやりたい人がいるからね。

 

て、そんな気軽な気持ちでいいと思う。

だって、実験なんだもん。

 

夢はなくても大丈夫。

 

2018年の僕からのメッセージはこれだけだ。

夢がなくたって、やりたいことがなくたって、就職しなくたって、

周りに批判されたって、お前は変わっていると言われたって、

無理だからやめとけって言われたって、親に心配をかけるなって言われたって、

 

大丈夫、いけるよ。

だって、実験なんだもん。

だって、いつだって自分しか自分の心の音は聞けないからね。

 

お金がなくたってもいい。大きい家がなくたってもいい。

地位や名誉がなくなったていい。

クズであってもいい。

 

周りの目や声や存在にくらみそうになったら

いつだって、自分にこう言うんだ。

 

大丈夫、いけるよ。

 

心に問いかけるんだ。

 

大丈夫、いけるよ。心で動いていけば、結果はあとからついてくる、て。

 

 

ぼくらは何も知らないのに、一部しか世界を見たことがないのに、

全部を知っている、見ているかのようにごちゃごちゃ言ってくる人がいるんだ。

気になるかもしれない、ごちゃごちゃに引っ張られるかもしれない。

しかし、そんな時は、「いつだって自分」と言ってほしい。

 

僕の未来なんて正直に言えば、「わからない」

就職すれば未来が「わかる」の?

フリーランスになったら未来が「わからない」の?

 

それさえも「分からない」だろう。

分かっているのは、先祖と神と宇宙だけだと思う。

いつ死ぬか分からないからこそ、今を生きて「生きつくした」と言える

自分であろうではないか。

 

「分からない」未来に対して、不安が出てくるときは動いていない証拠だ。

目の前のことや好きなことをやって頭と体をフルに使っていこう。

すると、不安はやってこないし、

気づいたらいつのまにか景色が変わっているなとなる。

 

世界を生きることは簡単だ。

死ぬことだって簡単だ。

生きて死んでを繰り返しながらでも、今を生きつくしてみよう。

 

生きつくす行動と共に、自分らしいが不随してくるのだ。

いま、やるしかない。

いまあるお金でどう回すかを考えるしかない。

いまあるモノに感謝して、どう活用していくかを考えよう。

考えて動けば、今の不足分は充足されていく。

 

さて、2019年は僕にとっての大航海時代到来だ。

荒波のなか、心という舵を切っていく連鎖の始まりだ。

 

僕はどう生きるのか。

 

そして、キミはどう生きるか。

 

大航海時代の到来こそが、僕らしさの追求につながる。

 

 

全部、実験だって。

ぼくなら。

大丈夫、いけるよ。

 

きみなら。

大丈夫、いけるよ。