農業は機械にとって代わるものなのか。いや、代わらないだろう。
こんにちは、農業の未来に可能性を感じているまつぞのだいきです。
僕は大学で農業について学んでいるわけではありませんが、縁あって毎年一回のシーズンに「さとうきび狩り」と「黒糖つくり」を沖縄県今帰仁村にある古宇利島で行っています。
さとうきびを育てることや狩ること、狩ったあとの黒糖つくりから学んだことを
今回は書いてみようと思います。
農業がなくなる世界は訪れない
現在、農業に関しては農家さんの減少や買い手の減少で何かとこれからの存在有無が危ぶまれているとネットやニュース、実際にやっている農家さんは口にします。
実際に経済的な部分だけを見れば、苦しい時もあると思います。
風評被害で生産性が落ちることもあると思います。
しかし、僕は素人ながら、「農業がなくなる世界は訪れない」と考えています。
あと1年もすれば、なくなる仕事が今以上に増え、職を失う人は確実に出てきます。
そのような不安定ななかでも、農業と教育は確実に残っていくと予想しています。
それはなぜか。2つあります。
一つ目は、
「人が育てる食べ物を世界のどこかの人が必ず求めている」からです。機械が管理して、機械で仕分けして、ドローンが持っていくのを良しとする中で、人が毎日状況をチェックし、畑を整えて、真心こめて、発送していくのを好む人も必ずいます。
僕は、農業に毎年関わる中で農家さんが心込めて作った野菜等のおいしさをあらためて感じています。だから、スーパーに行っても地元の野菜等を買うようにしています。
二つ目は、
「人は食べていかないと生きていけないから」です。単純なことです。
人は「食べ物」を食べるから体が弱らずに生きていけます。
「健康」に生きていきたいならば、野菜を食べることでしょう。
肥満などの健康問題が叫ばれている今、野菜を食べなくていいという人はいないですよ。
これからますます、野菜を好んで食べる人が出てきます。
では、野菜は誰が作ってるのでしょうか。
農家さんですね。
野菜を食べる人がいる限り、農家さんがあり続けます。
「農と食」は密接なつながりを見せています。このチェーンが外れることは、ヒトがこの世界にいる限り、ちぎれることはありません。
日本農業のビジョンを具現化していこう
松下政経塾では、こう言われています。
日本の農業に未来はある。
これから必要なのはさらなる農業と流通・加工そして飲食との連携、すなわち「農と食」の統合・連携である。これまでの農業は、言われたものをつくり、言われた通りの価格で買ってもらい、儲けは気にせずとりあえず先祖伝来のものをするという、製造業で下請け、内職、趣味的な要素が非常に強いものであった。その方法で儲けも出てよかった時代もあったかもしれない。しかし、将来にわたって続けることを考えると、その方法は限界に達しているのである。
明るいなかでも、若者が動いていこう。
農の魅力を体感し、発信していこう。
もう農水省やJAに任せっきりでは限界がある。私は日本の農業の明るい未来を切り拓くのは、地域であり、地域農業を支える農家であると考えている。もちろん、日本の農業を真剣に考える農水省の関係者や、農産品のブランド化や輸出など意欲的に取り組みを続けるJAもある。そのような方々には、引き続き頑張っていただきたい。しかし、もうそろそろ日本の農業の将来ビジョンを具現化しなければならない。
農業は機械にとって代わるものではない。
機械では出来ない部分が多数あるはずだ。
農業を学ぶ学生を中心に、いまアクションしていこう。
では最後に、九州大学准教授 比良松先生の言葉を紹介します。
医(命)は食に
食は農に
農は自然に学べ
それでは、また。