何か書きたいのに何を書いたらすっきりするのか分からない

 

何か書きたいと思って、こうやってはてなブログを開いているのだが、

何を書けばすっきりできるのかが分からない。

何を書けばいいのか分からない原因は、インプットの量の少なさや日々の生活でネタを探してなかったことに影響があるのだろう。

 

そして、ここまで120字ぐらい悩みながら書いているのだが、一つ考え事を思いついた。

 

僕は卒業論文のテーマを「学校の運動部活動の在り方」としている。これを調べて論文読んで本読んでしていくなかで、必ず「体罰」というキーワードが出てくる。

そこで僕は体罰ってなんで起こるのか、について考えてみた。

 

簡単に言えば、体罰は教師の語彙力や伝える力が不足しているため、生徒に伝わらず、勝手にイライラして手を出してしまう。

 

もっと簡単に言えば、伝える力不足なのだ。

「伝え方が9割」と言われるぐらい伝え方は重要だと感じている。

たしか、本もあったようだ。

ほら、あった。これは一回だけ読んで、自分の弱さについて向き合う時間になったことを覚えている。また読もう。

 

ということで、体罰が起こるというひとつの考えを持っている。

このことに関して、考えていることがあって。

伝えることができないというのは、脳と神経と慣れで改善できるのではないかいと感じている。

 

メカニズムを言葉で書いてみる。

1.脳で「あれを言おう、これを言おう」と動きを促す周波ができる

2.この周波に神経が反応する

3. 話すという行為だったら、神経から口に話すという伝達がくる

4.口が動いて、空気が震えて、声として発せられる

 

この流れの中で、1で感じた脳の周波は4までいくときに少なからず何かしら変換させているだろう。おそらく1で感じたことは、次の神経に伝わる段階で何かしらに変換させる。そして、変換されたものが次は口に伝わる段階でまた変換される。そして、空気が震えて声になるときにはまた変換される。

 

こうやって、人は脳で感じたことが口を通して発せるまでに、たくさんの変換をされているのだろう、と考えている。

だから、脳で感じた自分が伝えたいことが相手に伝わらずにイライラするのだろう。

 

こんなことを大学3年生になってから考えていたら、けんすうさんがそれらしきをことをプレゼンで言っていて、「分かりやすい!これだ!」となったのはつい先日のことである。これだこれだ、見つけた。

「遊び半分の起業のすすめ」古川 健介 師範 on Vimeo

 

とりあえず、ぜひ!

 

だから、伝える力を鍛えない限り体罰はどこかしらの現場で起きる。

どうやって鍛えるのか。

それは、できるだけ1から4までのあいだに”変換”させないことだろう。

脳で感じたことをそのまま声にする。

そのまま声にするためには訓練が必要になる

その訓練というものは「発信」するということ。

 

何度も自分の脳で感じたことを口や手に伝えるの繰り返しのことだ。

これをひたすら訓練していくことで変換が少なる。

これで脳で感じたことを変換なしに伝えられるようになるから、イライラすることは少なるなるのではないだろうか。

 

何か書きたいのになんたらかんたらと冒頭で述べたが、一つ考えていることをとりあえずこのブログに書いてみた。少しだけすっきりしような気がする。

 

しかし、まだモヤモヤが消えないので明日にでも解消しよう。

 

 

それでは、また!