【No.10】ブラック部活動-子供と先生の苦しみに向き合う-

ブラック部活動-子どもと先生の苦しみに向き合う-

内田良

 

 

●グレーゾーンを「見える化」する

・部活動は、学校教育のなかでおこなわれている。顧問の教師は、毎日数時間、土日にはさらに多くの時間を部活動に費やす。だがもともと、大学で教員免許を取得する際に、部活動の指導方法を学ぶ授業は、基本的に一つも用意されていない。部活動のことを専門的に学ぶことがないままに、日々の指導に当たっているのだ。

→部活動は「グレーゾーン」だからである。正規の教育内容ではないから、教師になるためのカリキュラムに、部活動に関する授業は組み込まれていない。現実には学校内の教育活動として、指導せざるをえない。

 

・明確な制度設計がないままに、無理矢理それを学校内で運営しているために、部活動は何でもありの無法地帯になっている。

 

・部活動の在り方を考えていくうえで、「学校教育の一環」でありかつ、「自主的、自発的な参加」で成り立っているという原則は、きわめて重大な意味をもつ。

 

・授業外のスポーツや文化活動は、アウトソーシング(外部委託)されることなく、学校内で学校の教員という人材を使って、提供されている。部活動は、教育課程外でありながらも、学校教育と密接な関係を有しながら維持されている。

→これが、部活動を「グレーゾーン」というかたちで解釈すべき理由

 

・完全に学校教育の内側にあるわけでもなく、かといって完全に学校から切り離されているわけでもない。必須ではなく自主的な活動にすぎないのだけれども、学校教育の一つとして明記されている。

 

・「グレーゾーン」であることがうやうやにされるとき、「強制」と「過熱」が起きる

 

●自主的だから過熱する

・今日の部活動では、現実にはむしろ多くの先生や生徒がポジティブな効果を感じ取っている。部活動は、プライスレスの意義ある活動である。だからこそ、部活動は、歯止めがきかずに肥大化していく。

 

・部活動指導に関して、部活動に力を入れる→生徒が試合に勝つ→生徒さらに保護者からの信頼も得られる→さらに部活動に力を入れる・・・・こうした流れにより部活動の過熱に歯止めがかからなくなる。

 

・部活動はひとたび指導してみると、授業とは異なる生徒の姿に出会えて、「楽しい」。つまり、楽しいからハマるのだ。

 

・部活動が「評価」の対象になったことが、生徒にもたらした影響はきわめて大きい。部活動で競争に勝ち抜くことが、学校生活において重要な意味をもつようになり、さらにはそれが入試を通じて、自分の人生を大きく左右する。これが、部活動を過熱の一途へ導いた。

→この流れに巻き込まれ、保護者、教師がプレッシャーを感じ始めた。

 

●未来展望図

・未来の部活動は、けっして学校単位にとらわれる必要はない。地域単位の部活動も想定すべきである。

→学校(教員)主体の部活動ではなく、地域(住民)主体の部活動を構想するということ。

2000年代に動きがあった。しかし、地域の人材が不足していたり、学校側が学校管理下での生徒への教育効果にこだわったり、事故時の保険制度が学校のほうが十分に整えられていたりと、学校から部活動を切り離すだけの十分な準備ができなかった。

 

・地域(住民)主体の部活動を構想するにあたっては、同じ轍を踏まないこと、そのための制度設計を十分に済ませておくことが重要である。

 

・「全員顧問制度」のもとですべての教員が部活動指導を余儀なくされるのは、肥大化した部活動に教員の数が追いつかないからである。総量規制により部活動の規模が現在の半分にまで縮減されたとき、明るい材料が見えてくる。