自分の人生に完全に余白をつくる
評価経済やら、信用経済やら、仮想通貨やら、モノの共有やら、ホームスクーリングの発展やら、無くなっていくしごとの話やら。
全て5年前に声を大にして唱えていた大人はいなかった(と捉えている。)これも時代の変化とともに人々の考えや行動が変わってきている証拠なのだろう。もうすぐ60になる父と21の僕。まさに団塊の世代にあって、ミライの考え方が全く違う。最近僕がどうなるか分からないからこそ、興味の幅を広げながら強い分野を持ちたいと主張してきて、ようやくそれの本質が分かったらしい。
お金をもつ幸福よりも、やっていることに楽しさを持ちながら生きていきたいのだ。家族のために朝早く家を出て、夜遅くに帰ってきて、用を澄ませたらすぐに寝る。そして次の日も。。というルーティンをずっと続けて、休日には疲れを取るためにただ家でくつろぐ週末。
そんな日々がずっと続く中で、父の世代はどこに楽しみを持っていたのだろうか。ギャンブルだろうか、居酒屋だろうか、。
よく分からない昔の話だけれど、いまの僕にはその生活なんて考えられない。
ある意味、「すごい」と言いたい。
変化の激しい時代になるんだぞ!とは3年前から言われてて、~20代まではそれを頭のどこかで意識して生きていることだと思う。僕もその一人であることは確か。
変化が激しいと言われても、詳しいことはパッと思いつかないのではないだろうか。すごい機械がどんどん出てきて、なくなるしごとが出てくる。これぐらいまではそこらの中学生に言っても分かるはず。
無くなる職があるのは事実の話で、タクシーの運転手なんか自動運転とAIによっていらなくなる。AIで行き道を入力して、あとは自動運転に任せておけば目的地に到着しているという話。その他にも、会計士や税理士がなくなると言われている。
なんておもしろい時代だ。
あの国家資格を持ってしごとをする税理士がなくなるんだって。
そんなこんなで、僕は考えた。
自分の人生に完全に余白をつくってみよう。
つい最近まで教員になりたくて、必死に教員採用試験の勉強に励んでいたがパタリと辞めて、暇になることにした。
ミライはどうなっていくか分からないらしい。
でも僕は分からないわけがないと思っていて。だってiPhoneだって、AIだって、自動運転だって、誰かが開発してつくって、世界全体に広げているわけだ。この開発者たちは「ミライをつくっている」のだと思う。こういうミライが来たら楽しそうだ、需要がありそうだって。
だから僕も、余白をつくって「ミライをつくる」ことにした。大学卒業後は大多数の学生が就職活動というモノをして、内定というモノをもらって、その会社で働くらしい。
就職活動なんて興味がなくてよく分からないから何も言えないが、自分の場合は、これじゃミライはつくれないとみた。
余白があるとなにができるかって、それは「じっくり考える」ことができる。今も大学に通っているが、学びたい科目以外にも必修科目というものがあり、嫌でも履修しないといけない。そして、テストがあるから勉強しなければならない。この時間が本当にもったいないし、ムダだと感じている。
だから、卒業後に余白をつくることでミライをつくることだけをやれる。
まさにこの状態に僕はなりたかった。嫌なことをする時間を完全になくし、ワクワクしながら生きたいと小学校のころから思っていた。
いよいよ、このときが来たみたいだ。
もうやることは決まっていて、形にも徐々になってきた。楽しみしかない。忙しいとこの楽しみさえも心底から楽しめずに過ごすことになるのだろう。
暇になって、考え続けて、楽しいものを発信できればいい。
そして、「好きなこと」が「仕事になる」瞬間を迎えようと思う。
この瞬間が最高なんだろうなー。